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痛み

Category: 未分類  

朝、ニュース番組が焼身自殺未遂を告げていた。
集団的自衛権に抗議してのことらしい。
重傷という。

今朝の新聞にはそのことは記事になっていない。

辺見庸さんの著書「永遠の不服従のために」に書かれている檜森孝雄さんのことが脳裏に浮かんだ。
ーパレスチナ支援の活動家が日比谷公園で焼身自殺ー
ニュースで見た記憶があったけれど、もっと違った風に感じられる報道であった記憶があった。
その差異が怖く思えた。
また死が、ただの少しも、世の中を変えることがない。
そのことに、痛みを感じた。

死をかけて、止めたいという切羽詰った想いを、相手は一顧だにしない。
愚かとさえ思わない・・・その者にとって、そこに存在さえしていないのだから。

無駄死にと言わせるのは癪じゃないか。
生きなければ、打開策が皆無と思われるときも。

愚直に生きて、反対と言い続けよう。

6月28日の東京新聞夕刊「紙つぶて」に中山千夏さんが書かれた一文
東京新聞6月28日夕刊「紙つぶて」からソフトな徴兵制

今がどんな状況なのかを繰り返し伝えようと思う。




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 2014_06_30



6月25日のこと、南越スタンディングの立つ場所を目指して、改札を出た。
3回目のその日、また例の場所にと目を移すと、黄色い真新しい立て看板が目に飛び込んできた。

「演奏や物品販売を禁止する。○○警察署」

見渡せば、幾本もの立て看板が柱や柵に結ばれている。
通路であるから、妨げになると。
 
楽しみにしていたPママのギターと歌でアピールは禁止されてしまっていた。
公共の場所・・政治的であるがためにこんなにも早く禁止看板を立てたのかと思う。
(演奏したら、排除され、2度とスタンディングできなくなったのでしょうか)

  スタンディングに参加する方は毎回増えて、
  それぞれが思い思いのプラカードを持って立つ。
  1時間半のスタンディングは、必ず想いのある人を引き寄せるもののようです。

  毎週水曜日、午後1時~2時半 南越スタンディングを定期的に開催します。
  (個人個人の集まりなので、スタンディングしたいと思った人ができる日に、時間もできる範囲で、自由に)

スタンディングの後、Pママとコーヒータイムする。
若い人たちは、生まれたときから時代が○○(大事な言葉なのに思い出せません)していて希望を持つことができない。
何をしても無駄なのだとあきらめている。 という趣旨のことをPママが話してくれました。
子どもを育てているとき、明日は今日よりも良くなると信じていたと、私。

昨日6月26日の東京新聞朝刊「筆洗」欄に、
進学塾経営の坪田信貴さん(「学年ビリのギャルが~慶應大学に現役合格した話」著者)にお聴きした話として載っていました。
(以下10行「筆洗」より引用)
▶叱るな、怒るな。褒めなさいという。
▶「小学生でも宿題をやらない場合はどうなんですか。怒るべきでしょう。普通」
「いいえ。一緒にやってみようと言ってください。あくまで前向きに」
▶本当かとまだ疑う。みんな叱られて大きくなった。 

「今の子は違います」と坪田さんは断言する
▶戦後から高度成長期。苦難に勝てば、良いことが待っているという空気を子どもでさえ感じられたので、
「勉強しろ」にも耐えられた。
逆に生まれてこの方、ずっと景気の悪い時代に育った子はその先の良いことが想像できない。
叱られると、激励ではなく「痛み」としか感じないという。わかる気がする


人を、時代で一括りにすることはできないとずっと思っていた。
その人の立つ位置で、時代だけでは推し量れない、共有できないものがあるものなのだと考えらせられたから。
でも・・それは誤りなのかもしれません。

閉塞感を拭うのは経済のみなのでしょうか?
消費する人になってしまったからそう思うのでは?

「脱原発」 「集団的自衛権」と、
反対する人の数は、国民の50%を超えている。
それを無視して国民の望まぬ方向へ突き進む政府。
それでもなお、現政権を良しとする国民も50%を超えているのだ。
「なぜ?」と、相反する数字に内訳を見る。
経済(政策)に期待をしているからというのがその答えらしい。
ごく一部の大企業と、その株主とが儲かる仕組み、その恩恵を受けるのはこの50%の国民ではないはずなのに。

長く長く時間をかけて
たゆまずに成し遂げたあなた(個人ではないつながる意志)
少なくとも、利己とは名づけることはできないのかもしれない
ではいったいそれはなんという名なのだろう。
それらが 今という時代を作り 染めている。


今、分かれ道なのだと伝えたい。
一通りではない未来を残し 
もっと ずっと 自由に描くキャンバスを一緒に守りませんか。






 2014_06_27



テアトル新宿で上映中の「あいときぼうのまち」を、友人のパクちゃんに誘われて観に行きました。

「東京電力」とそのままの名前が使われているため?なのか、
試写会には、どこのメディアも出席しなかったそうです。
6/21から1日4回上映されていたのですが、メディアに作品を紹介されなかったこともあって、
入場者が少なく昨日あたりから上映回数が1日2回になっているとのこと。
既に映画を2回ご覧になった方が、良い作品を上映打ち切りにさせたくないと発信なさったのを受けて、パクちゃんからの誘いでした。

あいときぼうのまち

「あいときぼうのまち」 菅乃 廣 監督 2013年作品
東電に翻弄された4世代の家族、70年間の日本の歩み
敗戦間近の1945年、福島県では原子爆弾を作るためウラン採掘が行われていた。
終戦、そしてその後の原発を巡る対立、震災の傷、4つの時間を描く家族の再生の物語。
(テアトル LINE UP より引用)

映画の中の性描写が必要なのかどうか、最初疑問でしたし苦手だなと思ったのでした。
でも映画を観ている間に、人間の表面的なものだけを描いていては真実のありようを伝えることはできず、
どろどろしたものも描かれてこそ、血の通った人間になるのだと思いいたったのです。

この映画は、
連綿と続く血 (無意識下の)、そして、そのいのちの再生のものがたりなのだと思いました。

再生は、自らの意志だけがなせること。
 人に与えられるものでも、施されてできるものでもないのです。
 きっと、このひとはもう大丈夫。強く自分を生きられる。
そんなエンディングに希望を見ました。




 2014_06_26



32年目の祝島がピンチです。

「上関原発に反対する祝島の漁師さんに500万円届けようキャンペーン」
↑(クリックしてご覧ください。カンパ方法など詳細を知ることができます)

島の漁師さんは、中国電力からの10億8千万円の漁業補償金の受けとりを拒みつづけてきました。漁師さんの明確な意思表示です。このことが原発計画を止める切り札となってきました。けれど今、祝島の漁師さんが追いつめられています。

祝島支店の2013年度の赤字は約1,000万円。
高齢化・過疎化が進み、水揚げは減り、魚価は低迷。山口県漁協により作られた構造的な赤字も加わり、県漁協祝島支店(旧祝島漁協)の運営は破綻寸前です。数年前から、この赤字を組合員が個人で補填しています。年金をつぎ込み、組合員をつづける漁師さんが大半です。議決権のある正組合員の、少なくとも過半数の意思表示がなければ、補償金を拒めないからです。今年はついに個人での赤字負担が20万円近くになることがわかりました。支払い期限は7月の末日。もう祝島の漁師さんたちだけで背負うのは限界です。

みんなの海を私も守る。
私たちのカンパで、志ある漁師さんたちが組合員をつづけ原発を拒みとおすことができます。「補償金を受けとるしかない」と思いつめていた漁師さんの気持ちも変わるかもしれません。ひとりでも多くの漁師さんが補償金を拒めば、漁協の運営改革の議論が可能となります。目標額は500万円。海の日の7月21日、祝島の漁師さんへ届けましょう。

主催:みんなの海の会
湯浅正恵(広島・上関リンク発起人)
山秋真(『原発をつくらせない人びと』著者)
纐纈あや(映画『祝の島』監督)
(以上転載)

3.11以降、上関原発建設は中止になるものと思ってきました。
収束していない福島原発を直視せず、なかったかのごとく原発再稼働にまい進する現政府。
疲れ果ててしまうのは道理です。
カンパが力になれますように!
少しでも多くの方が協力してくださることを願ってやみません。



 2014_06_24



集団的自衛権の行使容認は、今国会中の閣議決定はなくなる見込みですが、
無期延期になったわけでも、見合わせになったわけでもなく、
少しだけ日が延びて、7月4日が見込まれているとのこと・・・。

今週中にも閣議決定されるのではというさなか、
友人のパクちゃんからプラカードを持ってただ立っている「スタンディングをしてみない?」とお誘いがありました。
一人ではなかなか勇気がいりますが、二人なら怖いものなし。
その上、Pママがギターを携えて参加してくださることになりました。

6月25日(水) 南越谷・新越谷駅前広場
音楽は偉大なり!

Pママがギターを弾き、歌い始める

 ♪やさしく怒りをこめて うたおういのちのうたを
   ~ 希望をうたいながら 歩こう光の方へ ♪

早足で通り過ぎる人の中にも振り返り、大小それぞれのプラカードに目をやる人が目立って増えてきます。
足を止める人も現れます。
じっくりと書かれた文字を読む人も、中には「その通り!」と賛成を表明する人も。

音楽には緊張を解く力があるもののようです。
怪しい人物たちとは思われにくい状況が現出してきます。

「署名は?」と尋ねる人も現れてきます。
「金曜日に参加しています」と声をかけてくる方もいて、話の輪が広がります。

三々五々、スタンディングのメンバーも増え
老若男女、社会構成そのまま。素敵だなと思う。
(偏らないということがとても大事なことなのだなぁ。改めてそう思うのです)
鈴やタンバリンが加わりちょっとしたライブ感♪

Pママが歌ってくれた「花はどこへいった」
(それまで唱和していたのですが)
声が震えてきて、涙が溢れ出しそうで 口をつぐんでしまいました。

歌詞そのままの、そんな現実がすぐ目の前にあること、そのことが切実に思われて・・・
「誰ひとり戦争に行かせたくない」

13時から14時半までのスタンディング、最後には拍手まで(もちろんPママに)いただいて終了しました。

6月19日(木)
ラテン音楽でスタンディング

越谷デモに参加している方、山猫クラブの方、種's
仕事の合間をぬって参加してくださった人もいて、ラテンのリズムを刻みながらスタンディング。

昨日と今日拡大して使わせていただいたのは↓
shudanteki1.png

可愛いイラストが目を引きます。
見ているなっと思う人には、すかさず声をおかけします。
そんな中に男子高校生二人組がいました。

「近くで見てみない?」

集団的自衛権という言葉は知っているとのこと。
いろいろ話していくと、あいまいだった部分が明快になって腑に落ちた様子です。

「ぼく達にできることってあるのかな」といっていた彼。
情報を鵜呑みにしないで、ちゃんと自分で考えないとダメですよねと言っていたね。

パクちゃんが持っていたA4版のイラストチラシをあげたのですが、
「コピーして配ります」ときっぱり。

(若さはすがすがしくて美しい。一陣の風 最大の収穫でした)

声をおかけしたら、金曜日の国会前に参加しているという青年もいて、
見知らぬ群衆と思えた人々の中に、同じ思いを抱えている人がいるものなのだと、心に灯がともる気がします。
たくさんお話しをして、でも少数者なのかも、という思いもまた首をもたげます。

パクちゃんが大間に行くことを話したら、この青年も行くつもりだと答えていましたね。

たくさんのつながりが社会を変えていくものだと思います。
自分のこととして考えることができる人が増えますように。

来週6月25日(水)13時から14時半まで、南越谷と新越谷をつなぐ駅前広場で、
Pママ、パクちゃんとともに、南越スタンディングをします。






 2014_06_20



政治に無関心で自分とは関係ないと思っている人は、消費者として政治を捉えているからと話してくれた友人のひさごんが、ちょっと前の本だけれどといって貸してくださった岩波ブックレット。


日本人は民主主義を捨てたがっているのか? (岩波ブックレット)日本人は民主主義を捨てたがっているのか? (岩波ブックレット)
(2013/11/07)
想田 和弘

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第1章 言葉が「支配」するもの
社会が大きく動かされる際には、
人々がそれによって思考を支配されるような、キーワードとなる言葉が必ずある
為政者が無理やり言わせたものではなく
大多数の人は、好き好んでそれらの言葉を合唱したのか
それらの言葉がそのときどきで、ある種の「リアリティ」を持って人々の心に響くと同時に、感情を動かしたからだ

第3章 熱狂なきファシズム 「消費者民主主義」という病
政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、
政治家も主権者もイメージしている。
「不完全なものは買わぬ」が「賢い消費者」による「あるべき消費行動」
選挙での低投票率は「買いたい商品=候補者がないから投票しないのは当然」
無関心なのは「賢い消費者は、消費する価値のないつまらぬ分野に関心を払ったり時間を割いてはならない」
という決意と努力の結果なのではないか(以上本文より抜粋)
と、著者の想田さんは、書かれています。

「なぜ伝わらないか」
「どうして自分のこととして捉えることを拒否して、無関心でいられるのか」
というのが、これまでずっと疑問でした。

”リアリティ”と”感情を動かす言葉”
実際にあったこと経験したことを、話し伝えることで感情に訴え共感を得る。
活動を広げていくには、それが必要と誰もが異口同音におっしゃるのです。
それを見事に実現して見せているのは今の安倍政権ということです。
経済界、マスメディア、利益でつながっている人々の輪。
その輪に取り込まれている囲い込まれている消費者意識の国民の図。
(大多数の人は、取り返しのつかないところまで追い込まれてもそのことに本当に気付くことができないのでしょうか?)

ブックレットを読んでなるほどと腑に落ちたのでした。


憲法とは、
たとえ文面がそのままでも、
そこに保障されている権利を主権者が行使しないのであれば、
実質的に力を失っていくものなのです。(以上本文より抜粋)

秘密保護法、集団的自衛権、
為政者の確信的犯行をどう回避できるでしょう。

憲法第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない。(以下略)

粘り強く闘っていくことができるか。
頼れるのは、私たち一人ひとりによる「不断の努力」以外にないのではないか
民主主義においては、私たち一人一人が担い手であり責任の主体であるから
その危機を一人で救ってくれるスーパーヒーローはどこにも存在しないのです。
と「おわりに」に想田さんは書いていらっしゃいます。

誰もが望んでしまうスーパーヒーローはアメコミの中に存在するだけ。
それぞれが逃げずに担い手や主体者の意識を持ち行動するのでなければ、
それができなければ、今起こりつつあることを全部引き受けなくてはならないのです。
それは絶対にごめんだ。
私たち一人ひとりがNOを携えて、担い手になろう。







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